安藤直次関連エントリー

生死一眼(忍法帖の世界??)~和歌山城

... これがあまりに雄大なので、幕府から嫌疑をかけられたとき、頼宣は大笑して家老の安藤直次に、「余に異図あらば、進んで大坂城に拠るべし。なんぞ区々たる和歌山城を保守せんや」と、いいぬけさせたという。 ...

生死一眼(忍法帖の世界??)~和歌山城

2007年12月8日 和歌山4 和歌山城高石垣

... 石垣は寛永二年(1625)築造で、城中の石垣で最も高く十三間ある。 当時の藩主紀伊初代頼宣は南の丸から西濠までの石畳築造の大工事を行い 幕府の嫌疑を受けたという。時の家老安藤直次が幕府に修築の必要を力説し ついに了承されたという。 ...

2007年12月8日 和歌山4 和歌山城高石垣

功名が辻「土佐二十万石」おまけ。一豊くんがいなくなってか ...

... 安藤直次(なおつぐ)<徳川頼宣附家老>【元和3年藩主就任-元和5年移封】 松平(久松)(まつだいら(ひさまつ))家 3万石。親藩。 松平定綱(さだつな)<従五位下。 ...

功名が辻「土佐二十万石」おまけ。一豊くんがいなくなってか ...

将の器、参謀の器

... ハーバード大学のメーヨー教授の ホーソン・リサーチの教訓 と同じ。 名将と名参謀がいて、はじめて実現する徳川吉宗と大岡越前守 紀州徳川初代藩主の徳川頼宣を 身をもって諌めた重臣 安藤直次 との 名参謀なくして名将なしの関係… 読んでいて飽きが来ず ...

将の器、参謀の器

池田恒興

... 清洲会議四宿老の一人。 小牧・長久手の戦いでは秀吉側に付き、犬山城を攻略するも、長久手で徳川軍に破れ永井直勝の槍を受けて討ち死。嫡男・元助も安藤直次に討ち取られた。 池田家の家督は次男の輝政が相続した。 ...

池田恒興

安藤直次とは?

安藤 直次(あんどう なおつぐ、1555年(弘治 (日本) 弘治元年)? - 1635年6月27日(寛永12年5月13日 (旧暦) 5月13日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。安藤基能の長男で、安藤重信の兄。紀伊田辺藩(紀州藩附家老、明治維新までは大名とはみなされなかった)初代当主。
幼少期から徳川家康に仕え、1570年の姉川の戦いを皮切りに長篠の戦いにも参戦した。1584年からの小牧・長久手の戦いでは敵将・池田恒興や森長可を討ち取る活躍をし、家康から弓を拝領された。1590年に家康が関東に移されたとき、1000石の所領を与えられた。1600年の関ヶ原の戦いでは家康の使番として従軍し、1603年の家康将軍宣下にも参加して、1605年正月には武蔵国において2300石の所領を与えられた。そして、本多正純と共に家康の側近として初期幕政を取り仕切った。

安藤直次の詳細